いとまをつぶさん

 木を打つ。
 
 ああ、また色気も何もない話で申し訳ない。
 
 なんだか、拳法じゃあ何かをぶん殴って拳を鍛えているんだそうで。
 
 いかにも痛そうだが、まあ合理的だな。
 
 今更だが、あたしもやってみた。すぐ皮がはがれて血が出てきた。
 
 自慢じゃないが、あたしの手は自分でもビックリするほど柔らかい。
 
 森の中で蔓結んだり、細くて硬い弓の弦を引き絞ったりしているのに、くたびれているだけで硬くは無い。
 
 
 職人の手に憧れる。仕事のためだけに鍛え上げられた肉体。
 
 それが目に見える形で現れること。
 
 あたしの手は、皺がよって、傍目には見えないほどのタコが出来ているだけ。
 
 
 肉体労働はお手の物だとずっと思っていたが、何のことは無い。この手には何も刻まれていない。
 
 だから一層、今傭兵を一生懸命やってる証として、硬い拳が欲しかった。
 
 木を打つ。ガチンガチン、と、最初はナックルを握って。響きになれたら、ナックルを外して。
 
 痛い。正直痛い。手加減もしたりして、その度に、「それじゃあ意味が無いだろう」と思い切り打ち付ける。
 
 
 そのうち皮が擦り切れて薄く血が出る。このぐらいで止める。 骨が見えるほどまでボコボコやるつもりも根性も無い。
 
 強くなりたい。証が欲しい。多分そうなんだろう。
 
 思いっきり体を痛めつけている、思いっきり拳を振り出した瞬間は、確かに満たされている。
 
 
 ……
 
 
 数日して、すぐに止めた。こんなことをしてなんになる。強くなる保証なんかどこにもない。
 
 あたしが欲しいのは、強さと、その証だ。手の痛みじゃない。傷跡じゃない。
 
 すっきりと。ばったばったと。敵を薙ぎ倒す強さが、欲しい。
 
 どうすればいいのかわからなかったんだ。戦い続けても、強くなった実感なんかわかない。ずるくなったなと思うだけ。
 
 
 勝ちたい。そうだ。勝ちたいのだ。勝つものでありたい。勝利を約束された何かでありたい。
 
 次善の策として、誰よりも強くなりたいんだ。次善なんだ。至善じゃあない。至善は、勝利の約束を手に入れることだから。勝利の快感をいつも味わい続けることだから。究極、強く無くていい。勝つ存在だという確信があれば。
 
 勝利したい、という気持ちは若いものだと自分でも思う。だが、勝つ存在であるという確信が欲しいのは、魂が錆付いているのかもしれない、とも思った。
 
 戦い自体を楽しいと思う気持ちは変わらない。でも少しずつ面倒だとは思い始めているらしい。早く、簡単に、勝ちたい。勝ち取るのではなく、敗北から逃げるような気持ちに少しずつ傾いているのだ。
 
 
 それは、認めたくは無いな。
 
 自分にだけは、負けたくない。
 
 
 拳の鍛錬を止めてから数日後、あたしはまた同じ木を叩き始めていた。
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